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大田市森林組合 林業祭 開催!(in さんべ祭)
ミニ林業祭 in さんべ祭(H26.10.18)
「全日本中学生水の作文コンクール」で優秀賞を受賞
大田市立北三瓶中学校二年
森山 愛
「毎年ありがとうね。やっぱり愛ちゃんちのお米はおいしいわ。」
毎年秋になると、出雲市内に住んでいる母方の祖父母に、我が家で作ったお米をもっていく。家族みんなで力を合わせてつくった自慢のお米だ。だから祖父母のこの言葉を聞くと、とても嬉しく、そして誇らしい気持ちになる。
我が家のお米がおいしい理由。それは山水にある。田んぼに引く水も、お米を炊く水も、山水なのだ。
我が家は山水をポンプでくみ上げて使っている。同じ島根県内でも、祖父母の家と我が家では、水の透明度も味も全く違う。山水は塩素を使用していないので安心して飲める気がする。それになにより、水の甘さが比べものにならないくらい違う。このおいしい山水が、お米もおいしくしてくれているのだと思う。
我が家は山水をいろいろな用途で使っているが、水がなくなったことはない。しかし、出雲の祖父母の家では、昨年梅雨入りした後に雨が降らなくなったとき、水不足が深刻な問題になった。祖母の話では、風呂の残り湯や米のとぎ汁を使って花の水やりや道路の水まきをしたり、水道水をおけにとって洗い物をしたり、洗剤を薄めて使ったりして節水したそうだ。
なぜ我が家の山水はなくならなかったのか。その理由を生まれたときからここに住んでいる父に聞いてみた。やはり今まで一度も水がなくなったことはないという。
森林組合に勤めている父は、「木」が重要なポイントだと教えてくれた。
山水がなくならない理由。それは木の保水力にあった。木が地面に根っこを張って水をためているため、大雨が降っても洪水にはなりにくく、大量の水が木の根にたまる。それが山水となるから、なくならないのだそうだ。
父にもう一つ、昔と今と、水の変化したところについて質問した。すると意外にも、変わっていないという。変わっていないのは木を守っているからだそうだ。本当に木と水はつながっているのだと改めて思った。
父の話を聞き、以前農林水産省に勤めていた祖父から、林野庁が監修した「森の質問箱」という本をもらっていたことを思い出し、開いてみた。その本の中には、森林は私達の生活に大切な働きをしているということ、人手をかけないで放っておくと、災害にあって荒れてしまうこと、荒れた森林をもとの姿に戻すまでには長い年月がかかるということが書いてあった。
私達の生活になくてはならない水。それを守っている山や森林、そして木。あたりまえのように水を使い、森林もあたりまえの風景としてしか見ていなかったが、水も森林も、父のような守っている人たちがいるから、あるのだと思う。普段の生活の中で、水や森のありがたさを感じる場面は少ない。私も同じだった。しかし、父の話を聞いたり本を読んだりして、いろいろなことを考えていかなければならないと感じた。
今の私にできることは何だろうか。
まず、今まで受け継がれてきた山水を無駄遣いせず、大切に使っていきたいと思う。祖母は節水の工夫をたくさん教えてくれた。それらのことは、水不足でなくても大切なことなので参考にしたい。そして、森を守り木を育ててくださる方々に、感謝の気持ちをもちたい。
今年も我が家の田植えが終わった。これからもずっとおいしいお米ができるよう、大切な山水を守っていきたい。